奥にある暮らし ~発見・継承 2016奥四万十博~ 高知県・奥四万十

【伝統文化の継承】梼原町津野山神楽保存会

千百余年の系譜、脈々と

千百余年の系譜、脈々と

津野山神楽

津野山神楽

津野山神楽

津野山神楽とは

延喜13年(913年)、津野山郷の開祖・津野経高(つのつねたか)が京より土佐梼原(現在の梼原町地域)へ入国したことにより始まったとされる、津野山文化の代表的な伝統芸能「津野山神楽」。その年の五穀豊穣に感謝する秋祭りとして、町内の随所で見ることができる。神楽の舞は18節で構成されており、すべての舞を納めるには約8時間を要する。質素ながらも一千百余年の歴史を感じさせる荘厳さ、軽快な音楽とダイナミックな動きが見事に融合した舞は非常に楽しく、神楽が奉納される日には、県外からも多くの人が訪れる。
参考:津野山神楽 梼原町観光情報

ものづくりなどの伝統産業と同様に、いま危機的な状況に直面しているのが、地域の伝統芸能です。はるか昔から人の手によって受け継がれてきた伝統が、後継者不足により途絶えてしまう、そんな状況にある地域が日本には多くあります。

奥四万十地域の中でも「伝統文化の継承」というテーマで訪れたのは、「雲の上の町」とも呼ばれる四国カルストに抱かれた高原の町・梼原(ゆすはら)町。この人口3,900人弱の小さな町で、脈々と受け継がれる伝統芸能、津野山神楽の姿に出逢いました。

津野山神楽保存会から高校生へ

1100年の時を超えて舞い継がれてきた津野山神楽の歴史ですが、過去には危機がありました。戦争による混乱や時代の流れの中で正当な後継者が徐々に減少し、終戦を迎えた頃にはただ一人になったといいます。その時、町内では千年続いた神楽を絶やさないようにと復興の気運が起こり、昭和23年、当時の町長を中心に津野山神楽保存会が結成され、選ばれた数十名の青年に伝承されることになりました。その後、保存会の中で順調に後継者が育成されると同時に、昭和49年から新しい取り組みがスタート。梼原高等学校の部活動として津野山神楽に取り組む「梼原ディスカバークラブ」が設立されたのです。

取材時に集まってくれた「梼原ディスカバークラブ」部員のみなさん

取材時に集まってくれた「梼原ディスカバークラブ」部員のみなさん

梼原高校「梼原ディスカバークラブ」の津野山神楽を学ぶ活動は、総合学習の選択科目のひとつで、週に一回活動しています。現在の部員は1~3年生あわせて28名。保存会会員の方が定期的に指導に来て、しっかりと神楽の伝統を次代に受け継いでいます。来年60歳を迎える地元の男性がこの「梼原ディスカバークラブ」出身というほど、設立から40年以上の歴史を数えてきたクラブ活動です。

「中学に神楽クラブがあり、友だちがやっているのを見てかっこいいなと思い、高校から私も始めました」と話すのは2年生の徳弘恵さん。

「中学に神楽クラブがあり、友だちがやっているのを見てかっこいいなと思い、高校から私も始めました」と話すのは2年生の徳弘恵さん。「いまは小太鼓を担当しています。難しいけど、保存会の方が教えに来てくれるので頑張っています。地域の伝統文化について勉強したり、教えてもらったりしていて、私も受け継いでいけたらいいなって。あとは、純粋に楽しいです!」と、はにかんだ笑顔を見せてくれました。

神楽の価値を再発見してほしい

「梼原ディスカバークラブ」の顧問を担当する池上昌作先生はこう話します。

池上先生

「多感な時期だけに、初めは一生懸命やるのがカッコ悪いという気持ちもあったのか、そんなに真面目に取り組まない生徒もいました。でも、広島の安芸高田で開催されている『高校生の神楽甲子園』に高知の高校で唯一参加するようになって、生徒たちの意識が変わったような気がします。県を代表して出場する、出るからには本気でやる、そんな姿勢が見られるようになりました。やっぱり生徒たちにとって名誉なことなんですね。普段は物静かで消極的な生徒も、神楽の衣装を着たり、面をつけると積極的になる子もいます。これも神楽の持つ力なんでしょうね」

​生徒たちと気さくにコミュニケーションをとる池上先生(右)

生徒たちと気さくにコミュニケーションをとる池上先生(右)

「私は高知市の出身なので、赴任して来るまでは神楽の存在を知らず、初めて津野山神楽を見た時はとても新しく魅力的に感じました。町外から来た人にとってはそう映るはずです。私も顧問になってから、勉強を始めた身です。でも、この地域で育ってきた生徒たちにとって、神楽は当たり前に身近にあるものでした。だからこそ、保存会のみなさんから舞いだけでなく、歴史やその背景を聞いて、あらためてその魅力を学んでほしい。津野山神楽は全国の神楽の中でも独自性のあるものです。国の重要無形文化財にも指定され、伊勢神宮の式年遷宮でも奉納されています。全国青年大会では過去に最優秀賞をもらったり、海外でも上演されてきました。生徒たちには自分たちの地域の神楽の価値を再発見してほしいと思っています」

伝統を受け継ぐ「責任」と「誇り」

取材の機会に、生徒による津野山神楽のひとつの演目を見せてもらうことができました。 代表して「山探し(*)」という演目を披露してくれたのは3年生の前田翔太くん。取材に同席いただいた津野山神楽保存会事務局長の川上寿久さんが衣装の着付けを手伝ってくださいました。それまでは大人しかった前田くんの表情も、衣装を身に着け、スタンバイ時には凛々しいものに変化しています。

(*) 「山探し」とは金山彦のお使いの神が失くした宝剣を探すところから舞が始まり、最後には見つけ出し喜びを表現する演目。所要時間は40分〜1時間。

伝統を受け継ぐ「責任」と「誇り」

そして、前田くんの舞いがスタート。笛や太鼓の音が奏でる軽快なリズムとともに、多彩な表情を見せる舞いを見事に披露してくれました。

津野山神楽演目「山探し」の短縮版。本来は長時間に及ぶ舞。

津野山神楽演目「山探し」の短縮版。本来は長時間に及ぶ舞。

津野山神楽演目「山探し」の短縮版。本来は長時間に及ぶ舞。

津野山神楽演目「山探し」の短縮版。本来は長時間に及ぶ舞。

津野山神楽演目「山探し」の短縮版。本来は長時間に及ぶ舞。

舞を終え、保存会事務局長の川上さん(左)に激励され嬉しそうな前田くん(右)

舞を終え、保存会事務局長の川上さん(左)に激励され嬉しそうな前田くん(右)

前田くん

「小さい頃から神楽は身近にあり、中学校の時から始めていました。人前で堂々と舞うことが、自分にとって楽しいです。高校を卒業しても神楽を続けていきたいと思っています。保存会のメンバーに入り、伝統を守りたいと思います」

舞の最中とはうってかわって恥ずかしそうに話す前田くんでしたが、その言葉からは津野山神楽を自分が守っていく、という強い意志が垣間見えました。

「神楽はもともとは地域から門外不出のものだったが、考え方など時代とともに変わっていく部分はあるはず。ただ、1000年以上伝わってきた伝統を受け継ぐという『責任』と『誇り』を胸に、頑張っていってほしい」そう、津野山神楽保存会事務局長の川上さんは言います。並んだ二人の姿を見て、こうして伝統は次の世代へと大切に受け継がれていくことを感じました。

暮らしを彩るエンタテインメント

かつて山深い梼原の地では、季節を感じ、感謝を込めて舞い踊る神楽は、人びとの暮らしを彩るエンタテインメントでもありました。現在でも梼原町内の神社や祭事では随所で神楽が上演されています。もちろん「梼原ディスカバークラブ」の高校生たちも活躍中!

毎年の秋祭りで津野山神楽が奉納される三嶋神社(左)

高知県下では唯一の木造りの芝居小屋として町民に親しまれている「ゆすはら座」(右)でも津野山神楽の上演が行われている

毎年の秋祭りで津野山神楽が奉納される三嶋神社(左)
高知県下では唯一の木造りの芝居小屋として町民に親しまれている「ゆすはら座」(右)でも津野山神楽の上演が行われている

毎年6月に梼原町で開催される「四国神楽大会」というイベントでは、津野山神楽の伝統を他の地域の方々にも知ってもらうための観光イベントとして開催し、大勢の来場者でにぎわいます。四国神楽大会では、津野山神楽の他に県内外から招かれた様々な神楽も披露されます。伝統文化をきっかけに紡がれる人と地域のご縁。奥四万十の高原の町で脈々と伝承される津野山神楽に、ぜひ会いに来てください。